情報を伝える、集める意味

メモ書き覚書き的に

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情報を伝えることを「教える」と表現することあるけども「教える」のであれば、その中身をよく理解し内容が歪んで伝わらないよう正確に説明することがそれだと思うけども、SNSにしても報道にしてもセンセーショナルな見出しで煽り、単にPVを稼ぎことを目的にしてたり、自身の思想を織り交ぜて歪め、うがった見方をすれば無責任な扇動をしているようにも見える。

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ネットは自分で選んだ情報を取ることが出来る、はある意味効率的な手段に見えるけども、よほどうまく自身を律してバランスよくとることを意識しないと、どうしてもおそらく自身の内面が抱え込んでいる思想や思考に偏る傾向が大きくなると思う

ちょっと前、SNS以前はブログやら各種ニュースサイトなどホームページをRSSやリンク集を駆使しながら巡回することが主流だったと思うけども、今はおそらくTwitterをはじめとしたSNSのタイムラインなど自身が取捨選択したフォローした人たちの流す情報の摂取が多いのではないかなと。
そうなると、フォローしてた人が最初は違っていたも社会的や私生活の変化で極端な思想や思考に走ったりして、とても許容できそうもない発言を垂れ流したりとかもあり得るけども、フォロー・フォロワーの関係が内心邪魔してなかなか切れないことも多い。先のホームページの巡回ではそういう関係性は薄いので相手を気にせず切ったりすることが精神的にも楽だったことと比べると、昨今のSNS主体のネットの関係は重いし下手をすると、それらに感情が引っ張られることも多くなってるのかなと。

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具体的な行動や実際の運動の伴ってない、フォロワーが多いだけのSNS弁慶というかいいこと言ってる風のアカウントの言うことは、周囲がどう持ち上げていても、自身の心情や考えに合わなければ聞く必要はないと思う。もしその発言主に聞くのであるならその発言の内容に関することではなく、その発言をした目的と趣旨を聞くといいかもしれない。そのほうがそのアカウントの言ってることが自身で許容できるものか判別しやすいのではないかと(目的や趣旨の回答がないこともそれはそれでひとつの回答でありそういうことではないかと)

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ヒトは基本的に自分自身が間違っていない正しいとして行動や発言をしているし、それには普通は理由や目的がある、ってことを念頭にしておくとSNSだとかでフォローの取捨選択はしやすいと思う。

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発言の為の発言はやめるべき。いいこと言おうとして目立とうとしてどんどん先鋭化して精神的に危うくなる。なにもなければ何も書かないか、日常のちょっとしたいいこと、例えば食って美味かった飯の話などをすべき。